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☆ 鉄輪エッセイ vol-5 ☆
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    『ヤングセンター』

    2020年3月、長年鉄輪の湯治客に愛されてきた『ヤングセンター』が60年という歴史の幕を閉じました。

    大衆演劇の劇場としてたくさんの湯治のお客様を楽しませてくれた、ある意味鉄輪を代表する鉄輪らしい施設でした。

    私が鉄輪へ来た頃のヤング(地元の人たちはそう呼びます)は本当ににぎわっていました。

    毎日毎日ほぼ満館、、、地獄原温泉やむし湯などのジモセンにはヤングの浴衣を着たお客さんであふれていました。

    湯治のお客さんの娯楽のひとつとして人気だったヤングセンターの大衆演劇ですが、近年では湯治が目的ではなく演劇の観覧が目的で、鉄輪に泊まるという昔と逆バージョンもおきていたようです。

    私も行きましたが、本当にキレイでした。。。女の私よりも役者さんが演じる女形の方が色っぽい(^_^:)

    ヤングセンターの創業者さんは広島出身だそうです。

    今はなくなりましたが『広別汽船』という航路便があったからか、鉄輪は広島のお客様が多かったようです。湯治で鉄輪に来て、鉄輪が気に入り鉄輪に根を下ろした方たちも多かったようで、ヤングさんの他にも山水館・ホテル鶴見・つるやさん(今はもうありませんが)なども広島出身です。

    先日、散歩していたらヤングセンターの下のお好み焼き屋のご主人が「世の中、コロナも大変だけどうちなんかはヤングが辞めたことの方が大きいよ」と言ってました(^_^)。。。

    このコメントって凄くないですか?

    コロナと肩を並べるヤングセンター、、、なーんて(^_^)

    ヤングの前の宝来屋(実は鉄輪マダムご用達の洋服屋さん、、、ってわたしだけ?)も4月末で閉店しました。ヤングの閉館に背中を押されたようです。

    またひとつ鉄輪の時代の移り変わりを感じる出来事でした。

     

    posted by: irifunesou | 女将日記 | 17:12 | comments(0) | - |
    ☆ 鉄輪エッセイ vol-4 ☆
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      鉄輪エッセイ vol-4
        『湯治・・・その2』
      鉄輪温泉では湯治宿のことを『貸間旅館』と言います。
      ひと言で湯治宿と言っても、長逗留のお客様へ食事を提供する宿もあれば、基本食事は提供せずお客様が自炊する宿もあります。まさに貸間旅館は後者の食事を出さない方の形態です。間(部屋)を貸すだけなので貸間というのだとか(^o^)
      なので貸間旅館には基本的にお客様が自炊をするための、お客様専用の台所があります。
      何世帯もの湯治客が朝・昼・夜の食事作りに共用します。
      お客様は常連客が多く、大体来る時期も同じくらいになるので宿だけでなくお客様同士もとても親しい間柄になります。おかずのおすそ分けは当たり前。先に帰る人の残った食材も無駄になることはありません。
      現在は人との関わり合いがとても難しい世の中ですが、ひと昔前はある意味とてもフランクだったと思います。(旅先での出会いというのもあるかもしれませんが。。。)
      「褒めて育てよ」という言葉ではありませんが、人は褒められると成長します。奥さんが作る料理を毎日「美味しい」と言って食べてくれるご主人は貴重です(私は一度も美味しいと言ってもらったことはありません(^_^:)。。。貸間のお客さんのおかずのおすそ分けは、そんな一面もあったのでは?余談になりますが、鉄輪には鉄輪温泉旅館組合という旅館組合があります。前はこの組合のことを『貸間組合』と言いました。鉄輪がとても賑わっていた頃、この組合もよく旅行に行っていたそうです。入舟荘も義母の時は貸間組合でした。義母から聞いた話ですが、組合の旅行に行ったとき宿泊先のホテルの歓迎ボードには「鹿島組合」と書かれていたそうです。貸間は思いつかなかったということですね(笑)
      これまで『湯治』というと、どちらかというと「温泉で体を治す(癒す)」という意味合いが強いと思っていましたが、今回のコロナ騒動で新しいキーワードが浮かびました。
      『心の湯治』・・・これも大切かなあと。
      『健康』というのは心と体のどちらも元気でないと『健康』とは言えないと思います。
      湯治場鉄輪の原点に戻って『心と体の湯治』を探していこうかと思います。
      posted by: irifunesou | 女将日記 | 17:19 | comments(0) | - |
      ☆ 鉄輪エッセイ vol-3 ☆
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        『湯治・・・その1

         

        今日は鉄輪の原点『湯治』を。

        『湯治』とは読んで字のごとく「お湯(温泉)で治す」と書きます。

        鉄輪は古くから湯治場として栄えてきたといわれています。

        私が鉄輪へ嫁いできた昭和60年代もひと昔前よりは少なくなったとはいえ、まだ多くの湯治客を湯治宿いわゆる『貸間旅館』が迎えていました。(ここでまた新しいキーワードですね。。。貸間)

        ひと言で湯治客と言っても湯治に来る目的は様々です。

        本来の字のごとく「お湯で治す」を目的として鉄輪へやってくる湯治客。

        泉質や利用の仕方等でそれぞれではあるが、温泉には体を温めて血液の循環を促進し、組織への酸素や栄養素の供給量を増やす。また筋肉や関節のこわばりを和らげ、病みを鎮める働きもあるとされている。このほかに喘息・皮膚病・糖尿病・胃腸病・貧血・創傷治癒に働くとされています。

        湯治が庶民の風習として確立されたのは江戸時代と言われています。昨今の医療の進歩、薬の進歩、健康情報の安易取得の難しかった頃は病を治す最も身近な一つとして温泉があったようです。

        鉄輪の湯治客は

        1. 温泉療養で持病を治すまたは和らげる。(一人や二人などの少人数)
        2. 療養と娯楽を兼て家族・親戚・知人等と滞在する。(5名から10名くらいの小団体が多い)
        1. の湯治客は少人数で長期滞在する人が多く、ジモセン(地元の温泉)の中でもむし湯(温泉の蒸気を利用した蒸し風呂)やすじ湯(浴槽に水道水がなく加水できない為源泉100%のお風呂)を好んで利用していた人が多いようです。
        2. の湯治客は、第一次産業(農業・漁業従事者等)が多かったようです。田植えが終わった後、刈り入れが終わった後など、体の療養と「お疲れ様」という労働に対するご褒美もあったのかも(笑)。漁師さんなどは禁漁期間などの利用も多かったようです。

        核家族化の進んでいない頃は、年に数回じいちゃんとばあちゃんが鉄輪へ湯治に行くということが、嫁さん孝行だったのかも知れませんね(^_^😊

        春休みなどは孫まで連れての鉄輪湯治。温泉祭りが賑やかりし頃です。

        この頃の湯治客はほぼ常宿が多く、決まった宿に泊まる人が多かったようです。

        が、たまに熱の湯や渋の湯すじ湯などで、湯治客どうしで宿の情報交換なども行われていたとか。。。

        そういえば各宿のセッタや傘にはそれぞれの屋号が入っていたのですが、よその宿のセッタがあることは日常茶飯事。。。外湯で換わってしまったセッタや傘をそれぞれ宿にもっていくのも、女将さんたちの仕事だったようです(^_^😊

        この頃の湯治客は貸間宿とは何十年の付き合い。。。今では考えられませんが、お互い子供や孫への代替わりの後も続いていたようです。

        なんか書き出したら止まらなくて、まだ湯治その1なのに(^_^😊

        今日はこの辺で。。。湯治 その2は後日。。。

         

        posted by: irifunesou | - | 14:28 | comments(0) | - |
        ☆ 鉄輪エッセイ vol-2 ☆
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          『鉄輪と言えば一遍上人様』

           

          鉄輪を語るうえで私的に外せないのが『一遍上人様』です。

          一遍上人は鎌倉時代浄土宗系の『時宗』を開いた人です。

          『遊行』とよばれる布教活動の途中豊後の国、今の大分県にそして鉄輪へ立ち寄ったといわれています。

          一遍上人は『捨て聖』とも呼ばれており、「私が死んだ後には何も残すな」という人だったので、一遍上人の資料はあまり残っていません。

          ですが別府市には別府湾の海岸沿いに『上人が浜』があり、そこから山側の鉄輪に上っていく道沿いに『上人ヶ浜町・上人仲町・上人西町・上人本町・上人南町』などの町名があります。私はきっとこの道を上って一遍上人は鉄輪へいらしたのだろうと思っています。

          その当時、鉄輪は『地獄』とよばれる噴気・蒸気に村人たちは大変困っていました。

          それを鎮めたのが一遍上人です。いくつかの地獄を鎮めたのですがどうしてもおさまらない地獄があり、その地獄で作ったのが『むし湯』と言われています。

          そのほか鉄輪温泉の『渋の湯・熱の湯』(現在もジモセン=地元の温泉として残っています)『たき湯』 (今はたき湯の跡だけが残っています)もつくったといわれています。

          こうして一遍上人は鉄輪の荒れ狂う地獄を鎮め温泉を作り鉄輪を『湯治場』として栄えさせてくれたのです。

          ここで鉄輪のキーワードがまた増えます(^o^)

          『むし湯』『外湯=ジモセン』『湯治場』などなど。。。。

          この辺はこれからまた徐々に。。。。

          昨今のコロナ騒動にきっと一遍上人様も心を痛めながら、私たちを見守ってくださっていることでしょう。

           

           

          posted by: irifunesou | 女将日記 | 16:50 | comments(0) | - |
          ☆ 鉄輪エッセイ vol-1 ☆
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            『鉄輪エッセイ』起稿への思い。

             

            鉄輪へ嫁いで35年を迎えます。

            義母から旅館を引き継ぎ、女将になってから25年。

            見よう見まねの女将業、、、忙しく毎日を過ごしていたらいつの間にか四半世紀。。。

            次男が後を継いでくれることになり、孫も二人になりました。

            上の子は今年4歳の女の子で、『ミニミニ女将』やる気満々です(^o^)

            客室数5室の入舟荘は家族でやっている小さな旅館です。

            「このまま暖かい気持ちでお客様を迎えつつ、私たちも何とか食べていけたらいいなあ」なんて漠然と思っていたところに今回の『コロナ騒動』が起きました。

            2カ月以上も仕事を休むなんて初めてのことです。

            いろんなことを考えさせられるコロナさんです。

            ですが、こればかりは個人的にはどうしようもなくて。。。ただただ終息を祈るだけです。

            が、、、根が楽天家の私がそこで思いついたのが『鉄輪エッセイ』。。。

            キーワードは『鉄輪』。

            よそから嫁いできた『よそ者』の私も35年も住めばすでに『地元人』(^o^)

            私の『鉄輪愛』、、、結構深いんです(^-^)

             

            脈絡・順序・カテゴリ、、、なーんにもありません。

            ただ思いつくままに『鉄輪』をキーワードに書いていきたいと思います。

            コロナが落ち着いて鉄輪を訪れるお客様方に、いろいろな顔の鉄輪を楽しんでいただけたらと思います。

             

            もしよろしかったら覘いてみてください(^o^)

             

             

            posted by: irifunesou | 女将日記 | 16:48 | comments(0) | - |